米津玄師(よねつけんし)さんが2018年末にシングル「フラミンゴ」をリリースしました!
2018年に大ヒットとなった「lemon」の後に出たシングルが、全く違う世界観で驚きの声も多い中、なぜ多くの人の共感を得た「lemon」の後に「フラミンゴ」を作ったのか。
米津玄師さんが、自身のインタビューで公開された内容を書き起こしてみました!
Contents
米津玄師がフラミンゴの歌詞に込めた意味や思いとは?
どうして「lemon」の後に、フラミンゴのような曲を作ったの?
米津玄師さんがフラミンゴの歌詞の意味を話す前に、「lemon」が大ヒットした後で、あえて「フラミンゴ」を作った思いが語られていました!
lemonが大きな広いものになっていった。
じゃあ次に何やるかって考えるじゃないですか。
みっともない自分を一個出したほうがいいんじゃないかなっていうのが初めにあった気がする。
みっともない自分を自由に出せたほうが自由に生きれるなって思うから。
自分を一等美しくしなくちゃならないって、自分を肥大させてそれにがんじがらめになってしまったら本末転倒だと思うから。
自分は音楽に対して誰よりも自由でありたいから。
「lemon」の前から、米津玄師(よねつけんし)さんに惹かれていた私としては、「米津玄師が帰ってきたー!」て感じのインタビューでした!
米津さんの”カッコ悪い自分のままで自由に生きていいんだってことを音楽を通して表現したい”ってところが好きだったんで、このインタビューは、私はうれしかったんですが、皆さんは、いかがでしょうか?
ただ、「lemon」から米津玄師さんを知った人からは、ちょっと引かれちゃうかな、と心配もしてしまいますが^^;
【こちらも気になる!→米津玄師フラミンゴ歌詞全文!意味の解釈や考察もしてみた!】
「フラミンゴ」には米津玄師の原点があった!
そして、インタビューはさらに、米津玄師の原点に話が進んでいきました!
強くあらねばならないっていのは嫌いっていうのは違うけど、そことは距離を取っておかないと、これからのこれからの時代にそぐわなくなると思う。
自分は自分んことを弱い人間だとずっと思っていきてえ来た
弱い人間なりに強くならなきゃならない、つまりPOPな人間にならなきゃならないていうのと同義な部分があるんだけど、みんながみんなそうなれるわけじゃない。
適合できる人間だけが生き残っていけるのが、今の現実だけど、適合できなくても生きていけるのが一番美しいわけじゃないですか。
強くならなきゃならないってできる自分もいるけど、でも、そうできなくて、零れ落ちてしまった人はどこへ行くんだって。そのままのたれ死ぬしかないのかって。
自分がすげーそういう弱いところの生まれだから、そういうことをいろいろ考えてしまうんですよ。
で弱い自分、みっともない自分をちゃんと俺みたいな人間が肯定してやらないといけないのかなっていう感覚もありますよね。
このインタビューを聞いて「米津玄師、やっぱり最高!」と叫んだ私は零れ落ちるたぐいの人間観も知れませんが・・。
今の時代に生まれて、生きづらさを感じながら過ごしている、自分と同じような人が肯定されるような、希望をとどけたいと、以前から米津さんは話していますから、その軸は全くぶれていませんね!
フラミンゴの声ネタ一つひとつにも意味が!
インタビューではフラミンゴの歌詞の意味の前に、音ネタを作っているときの様子まで、詳しく語られていましたが、それがまた、米津玄師らしさ爆発でしたよ!
(フラミンゴって)すげー変な声ネタがいっぱい入ってるんですよ。
それには、コンセプト(意味)があって。
例えば曲中に「はい」って言ってるんですけど、自分が絶対悪いって思ってない人の言う「はい」なんですよ。”今、すっげー怒られてるけど、絶対俺悪くない!絶対悪くないけどここは謝っとかなきゃいけない”っていう人間が口にする「はい」なんですよ。
そういうのって自分の中で身に覚えがあるし。それって超みっともないじゃないですか。
そういう自分の中にあるみっともなさを、一つ一つ声にして、音ネタにして配置していきました。
それを家のパソコンの前で吹き込んでるときに、”超、みっともねー”って思いながら、すげーげらげら笑いながら作ってましたね。
だから「フラミンゴ」の曲作りはすげー悩むこともあったけど、楽しんで作った曲でもありましたね。
超みっともない自分を、自分で笑い飛ばしてる米津玄師さん。
俺らってほんとにみっともねーよなー!って一緒に笑い飛ばしてくれる感じに勇気もらえる感じが、すっごくしちゃうんですよね。
「フラミンゴ」の歌詞がすごく日本ぽいのはなぜ?
「フラミンゴ」の歌詞って、「lemon」の歌詞に比べると、歌詞そのものがすごく癖のある言葉ばかり。日本語の古典的な言い回しもたくさん使われて、そのためか、曲調もすごく日本ぽくなってますよね。
「フラミンゴ」がどうしてそうなったのかを詳しく語っていましたが、ほんとに楽しんで作られていたんですね!
すごく日本的な歌詞ですよね。でも最初は日本的なものを作ろうとしていたわけじゃなくて、海の向こうのエキゾチックなものを作ろうとしてたんですよ。
それを作っていくうちになんか知らないけど日本ぽくなっちゃったんですよ。で、日本ぽくいくなら島唄ぽいもの、民謡っぽいものを作ろうってなっていって。
でやっていけばいくほど気が付いたら、演歌みたいになってて。こぶしがきいて、都都逸(どどいつ)や演歌になっていきました。
最初はそんなにこぶし入ってなかったのに、レコーディングでは「もっと、もっと!こぶし入れて!」ってゲラゲラやったらあんな感じになっちゃって。
最後は、曲調の話にまで及んでいましたね!
歌詞と曲別々でなく、ぜーんぶで懸命に世界観を伝えようとしてくれる感じ、すごく好きなんですよね!
インタビューは、PVの裏話的な方向へ進んでいきました!
ダンサーの方とのからみはすごく米津玄師さんらしかったです。
別記事にまとめているので、良かったら読んでください!
米津玄師が「フラミンゴ」について語っているインタビュー音声はこちら↓