未就学の子どもって、まだ体が起用に動かせなかったり、適切な判断ができなかったり。当然と言えば当然ですが、だからこそ、ちゃんとしてあげたい、心地よくしてやりたいと、つい、大人がしてあげるばかりになってしまいます。それが「自分でやりたい」という子どもの力を奪うことになっているな、と気が付いた時のことを書いてみました。
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赤ちゃんにお世話してあげるのは当然のことですが。
私は長女で、小さいときに母から頼られたり、妹のお世話係だったからか、自分にできることはなんだろう?とか私でお役に立てることはあるかな?と、自分がだれかにしてあげることをよく考える子でした。だから、子どもが生まれてからも、子どもに聞く前に、子どもが心地よく過ごせるようにするのは得意なほうだったと思います。
たとえ得意でなくても、赤ちゃんは何もできませんから、お母さんなら誰でも赤ちゃんが過ごしやすいようにと心を配るものだと思いますし、それが当然だと思います。
ある日、ハッとしました。
そうやっていつもしてあげる毎日を繰り返していた私ですが、上の子が4歳になったころからは、少しずつ、自分でできることはしていかなくちゃね、と思い、保育園の支度は一緒にやるようにしていました。それでも、忘れ物をしちゃいけないと、持ち物を揃えて、子どもがカバンに入れて持っていくという毎日でした。
これも当たり前の風景だと思いますが、ある日、縄跳びを持っていくように言われていたのですっかり忘れてしまっていたことがありました。保育園の掲示板に書いてあって、子どもたちも先生から持ってくるように言われていて、前の日に、「縄跳びを持っていこうね」と話していたのですが、次の日の朝にすっかり忘れていたのです。
迎えに行くと「縄跳びがなかった。お母さんが言ってくれなかったから」と言われてしまいました。どのご家庭でもよくあることです。
でも、そこで、ハッとしたんです。子どもの言い方が、自分事じゃなく、すごく人任せな感じがしたんですよね。
子ども自身のことだし、だからこそ私は一緒に持ち物の用意をしているつもりでした。でも、子どもは言われたとおりにやっているだけで、自分で準備している感覚はなかったのだと思います。
やってみたら4歳でも自分でもできた。
この時をきっかけに、自分のことはちゃんと自分事ととらえてほしい、と思うようになりました。それで保育園の準備は、必要なものは一つのかごにひとまとまりに入れておいて、そこから、子どもが必要と思うものを自分で取り出してもらうようにしました。
最初はタオルを入れ忘れてしまって、「タオルはトイレに出た後に使うんじゃない?」なんて言いながらフォローはしましたが、そのうち、自分で何が必要かを考えていれることができるようになりました。
できるかな?どうかな?ということをやる機会を作って見守る
このことを通して、知らないうちにやれる力もやれる機会もうばっていたのかもしれないな、と思いました。このことがあってからは、やる機会をつくって何回かやったらできることかな?、どうしても大人がやってあげなくちゃできないことかな、とよく考えるようになりました。
やってみたことを話すと、周りからは時々驚かれます。そんなこともやらせてるの? って。
でも、やれないことをやれと言っているのではなく、できるかな?どうかな?ということをやってみる機会を作って見守っているだけで、やらせているわけではありません。
かえって、自信がついてきた!
それに、子どもからすると、大人のやっていることで自分もしてみたい時に、「それやる!」と言えばやらせてもらえることが嬉しいようです。そうして、最初は失敗もありますが、何度かやっているうちに少しでもできてくると、すごく自信になるようで、もっとやってみたいと思うようです。
最後に
大人が「できない、あぶない」と言って、子どもが経験する機会を奪ってしまっていること、結構たくさんあるんじゃないかって思います。
やってあげることが得意なお母さんは、ときどき、手を止めて、お子さんがやれる機会を作り見守ってみてはいかがでしょうか?